誤認逮捕と洗脳され続けた男

このブログは誤認逮捕をされた「私」がその一部始終を綴るBlogです。

【誤認逮捕】控訴し東京拘置所移送

昭和55月3月頃葛飾区小菅の東京拘置所に移送され愈々控訴審が始まりますが、その前に弁護士が高裁に控訴趣意書を提出したり半年ぐらい後だったと思いますが控訴審が始まったと記憶しています。控訴審が始まり何故かもう一度新潟地裁において「H.T」の証言のための法廷が開かれるので新潟に行く事になり今度こそ事実が証明出来るのかと期待しました。法廷に立ったH.Tは一審と同じくこの人ではありませんと証言しましたH.Tが私の前を通る時飛び掛かって首を締めようかとも考えましたがそれは出来ませんでした。今思うとその時の彼女の服装が私物だったのか官物だったのか、私物であれば執行猶予付きの判決を受け娑婆に出たのか、顔は、見たのですが小柄で痩せていた様に見て取れた記憶があり美人では無いいことは確かだったと思います。何日か後に新潟刑務所から東京拘置所に戻され控訴審判決を待つことになります。その間弁護士との面会で状況がどうなのか証言がどの様な結果を導くのか人権擁護に強いと言われた九州大学での弁護士にもお力添えを受けました。冤罪はどの様にしてなるか、本も読み研究もしましたが現実は書き物の様にはならない事を実感しました。

控訴中暑い夏を迎えある日あまりに暑いので寝ている布団に水を撒いたのですが涼しくなるはずもなく返って蒸し暑く寝れた物ではありませんでした馬鹿な事をしたと独り笑いしたものです。私が乗っていた車を運転し面会にきた弟より後に聞いた話では面会後車のエンジンを掛けた時差し込んだキーが折れてしまい大変な思いをしたと聞き大笑いした事を思い出します。この時の車は、逮捕時にも刑事に調べさせました何故かと言うと覚醒剤を譲渡した時車できたなどとの調書があり、ではどんな車種なのか聞いても細かく説明しないので当時所有していたジャガーのXJS5.3だと言うと調べたらしく新潟県内では医者が一台所有しているなどと話していたがその車で私が覚醒剤を運んだ事に対しては何も答えてくれませんでした。