誤認逮捕と洗脳され続けた男

このブログは誤認逮捕をされた「私」がその一部始終を綴るBlogです。

【誤認逮捕】新潟東署より山二つの刑務所に移送

覚醒剤取締法違反営利目的の譲渡で起訴され被告人としての立場になり、新潟東署に送達された起訴状を何度も何度も読み返し当て場のない怒りに身が震える程の口惜しさに襲われました。今後は裁判を受ける身になり身の潔白を証明しなければならない最悪の結果になってしまったのです。起訴になるまでの間、私が覚醒剤を譲渡したとされる日昭和54年2月11日頃とされていますのでその日の前後を思いだし不在証明「アリバイ」を探しましたがアリバイ立証など見つけることは不可能でした何故ならば家族利害関係者の証言は取り上げられないからです。あまりに信じてもらえないので刑事に嘘発見器を使えとも言いましたが一蹴され色々抵抗したのですが徒労に終わりました。その後新潟刑務所に移送されるのですがその間の記憶はあまり覚えていません。新潟東署より移送され刑務所が近付くにつれ逮捕翌日埼玉県大宮駅から新潟に向かう途中急行列車の窓の左手に見えたあの厳つい建物が目に飛びこんできました。刑事は少し手前で車を止め、車の中で通称「面倒見」と言われ、暫く娑婆とお別れになるので最後の煙草を吸わせることをします。当時私は喫煙していたので2本ぐらい嗜んだと記憶しています、その時も刑事に「俺は犯人では無い」と訴えましたが聞いた刑事は無関心を装いK君体に気を付けてと言い新潟刑務所に引き渡されこの瞬間から未決囚としての生活が始まりました。

何度かの公判の中で私ではありませんと何度も判事に訴えましたが効果は無く、前記しましたが検察、及び弁護士側双方の証人としてトルコ嬢H.Tが出廷し法廷で私の妻子、親兄弟の傍聴する中でハッキリとこの人ではありませんと判事に向かい明言しました。証人のその言葉を聴いた傍聴席の家族はこれで身の潔白が証明出来ると思ったと思われます。私自身もそう感じました。その後公判検事と弁護士間でのやり取りが有り次回情状証人があったと記憶していますが妻が何を証言したのか殆ど覚えていません。その後の公判で論告求刑が有り、公判検事は懲役3年6月が相当との求刑をしたのです。判決は12月25日と決定しこ日の裁判は終わりました。