誤認逮捕と洗脳され続けた男

このブログは誤認逮捕をされた「私」がその一部始終を綴るBlogです。

【洗脳】藤大産業の工事部長滝沢と河豚の毒

藤大産業端山利男に目を掛けられた滝沢は東北特有の頑張りで若くして工事部長に抜擢された。歳月は流れ昭和56年11月末の頃、藤大産業の従業員は約1000人いて、工事車両ダンプカーなど含めると900台を所有していたとか毎日、毎日朝早くからそれぞれの現場に行き工事作業をして、休日になるとボーリングで楽しんでいたとの事。当時の藤沢市ではあまり娯楽がなくボーリングぐらいとも言っていた。これだけ聞いていると、まともに聞こえるが、そうでは無く私を信用させる為の藤大産業があたかも実在した様に描いただけである。

この会社には、国税局上がりの計理士数名、専務の永井、久慈、韓国人の賄夫など数多くの事務員と別途に契約している会社外部の計理士もいたと話していた。

歳月は流れ昭和56年11月末に藤沢市大庭の藤大産業で忘年会が開かれ、仕事が終わった者から順次宴の席に着きテーブルに用意された豪華な御馳走に箸を付け忘年会が始まったと聞いています。地元の寿司屋さんも加わり河豚料理が振舞われ、その皿に盛られた河豚以外の皿にも河豚の肝が盛られていた、その河豚の肝を食した人は皆河豚の毒にあたり18人が命を落としたとの事、それを聞いた私は何で滝沢さんは大丈夫だったのと聞いたらその日は工事が遅くなり宴会場に着いたのは忘年会が始まった後だったと聞きました毒を盛った犯人探しどころでは無く大変な修羅場となったと聞きました。その時の近くの寿司屋さんは、自分が料理した河豚の毒が原因と思い込み後日自殺したそうです。藤大産業の社長端山利男も毒にあたり18人のなかでは最後の犠牲者となりこの世を去ったと聞いています。

その後何日間は駆け回りで葬儀に参列したそうです、端山利男が亡くなる直前特別に目を掛けていた滝沢が帰ってくるのを待っていた様に、滝沢が親父と声をかけた瞬間一度体を起こし息絶えたとも聞きましたがこの状況も嘘だと思います。でもこの時は信じて聞いていました。

何故に藤大産業と滝沢の関係を詳細に書かなければなら無いかその理由は藤大産業社長端山利男がこの世を去った後滝沢が会社を整理し従業員全員に手厚い手当をし藤大産業を解散し自分は残土処理業に身を転じたのです。

臨場感溢れる嘘話ですが、ここまでの滝沢の過去を知るのに2~3年を費やしたと思います。この間小金が出て行き小金を渡し嘘話を聞いていたことになります。この辺あたりから本格的にキャンパスノート36冊に記録していますが、今となっては何の役にもたたない様に思えてなりません。滝沢を除き、登場人物及び菊の御紋の表現に至るまですべてフィクションです。